出生~幼稚園の頃
昭和55年4月5日の聖バルナバ病院にて氏井家の長男として産まれました。約2年後に弟が生まれ、氏井家は父、母、姉、私、弟の5人家族となりました。現在、姉は歯科衛生士として弟は歯科矯正医として一緒の医院で働いております。幼稚園は地元のめぐみ幼稚園に通園しました。現在ではめぐみ幼稚園のかかりつけの歯科医として歯科検診をさせていただくようになりました。様々なご縁に感謝しております。
小学生の頃
人見知りでおとなしい性格でしたが、小学生3年生で始めたサッカークラブ(門真FC)に所属しグラウンドを毎日走りまくる少年へと変わりました。サッカークラブでは友達がたくさん増え、大きな声を出しチームプレーを学ぶ機会になったので今でもやって良かったと思います。
中・高校生の頃
中学入学当時、Jリーグが発足されたばかりでサッカー部に入部希望者が殺到しました。ずっとサッカーをやっていたので勿体無く感じたのですが、当時阪神ファンだった私はどうしても野球をやりたく、未経験ですが思い切って野球部に入部しました。
実際、野球は難しくなかなかうまくなりませんでしたが、たくさんの仲間ができ結果的に中学、高校、大学と野球を12年間続けることになりました。
大学生の頃
大学は愛知県名古屋市にある愛知学院大学の歯学部に入学しました。祖父、父とも歯医者だったのですが、それでも歯科という分野は未知の領域で、見ること学ぶことがとても新鮮でした。
特に臨床実習がとても好きで、歯についてを学ぶことは自分に合っているなと思っています。部活では、準硬式野球部に入りました。
準硬式では硬球の球とは異なる、外は軟球、中身は硬球という変わった球を使います。オールデンタルという大会があり、全国の歯科大学が集まってやる大会では5年生と6年生のとき4位という結果でした。今でも、その当時のメンバーで草野球チームで野球をやる機会があります。
大学卒業後
大学卒業後は大阪に戻り、門真市内の歯科医院で6年間勤務しました。初めての社会人は大変でしたが、たくさんの先輩方に支えられ少しずつ社会人としても歯科医師としても成長することができました。その後、歯周病を勉強するため日本でも有数の研修期間であるジアズのペリオコースを受講した際に、当時講師であり現在はジアズ理事長である瀧野裕行先生の医院であるタキノ歯科ペリオインプラントセンターに縁があり勤務させていただけるようになりました。
タキノ歯科では3年間お世話になったのですが、本当にたくさん貴重な経験をさせてもらいました。患者さんに対する姿勢、治療に対する姿勢、スタッフや業者さんに対する姿勢など、どれも自分にとっては勉強になり、振り返ってみると人間的にとても成長させてもらったと思います。保険全般、自費治療(オールセラミックや、インプラント)などもやらせてもらい、地域密着型の歯科医院としての総合的な技術を、タキノ歯科で学ぶ事ができました。これからもその時の経験を生かしながら歯医者の仕事をしていきたいと思っています。
父の急死
タキノ歯科退職後は父の体調が不良だったこともあり現医院の氏井歯科医院を手伝うことになりました。当時はまだ違う場所で開業を考えていたので医院継承するか悩んでいました。しかし、父が脳出血で倒れその後急死したことで状況が大きく変化しました。
今まで通ってくれた患者様に対して最後まで誠意を尽くすため、また自分を育ててくれた医院に感謝するために医院継承することに決めました。
リニューアル
継承してからは氏井歯科矯正歯科と名称を変更し、矯正医である弟とともに矯正治療を取り入れてよりお口だけでなく全身的な治療ができるように努めました。継承後、二年の間に都市開発の影響で駐車場が小さくなりお車で来院される患者様にご迷惑になること、また設備や内装外装が古くなり少しでも快適な空間で診療を受けていただくためにこの度少しですがリニューアルをすることにしました。
今後とも通院していただいた患者様に対して、誠意と責任を尽くし一生涯通じて、門真市・寝屋川市の近隣住民の方々へ健康のために費やすことができればと考えます。